神社に一万円札を奉納してみた

 

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神社に一万円札を奉納してみた

数年前、近所の神社に一万円札を奉納してみたことがある。
仕事帰りに思いついたので、拝殿で祈祷していただくこともなく、薄暗い中、お賽銭箱に一万円札を入れて、二礼二拍手一礼して日頃の感謝を述べて帰った。

「一万円も奉納したのだから、きっとよいことがあるだろう」という下心は当然あった。
ただ、そういう見返りがなかったとしても神様を恨むような気持ちにはならなかった。
むしろ清々しい気分しか残らなかった。

一万円では全然足りない

さて、その一万円に見合うようなことがあったかというと、具体的に「これだ」というものが思い当たらない。
逆に「あの一万円さえあれば」というような困った状況になったこともない。
資産は増えこそすれ、減りはしなかった。

よいことも悪いこともひっくるめて、これまで生きてこれたことを考えると、一万円では全然足りない。
それだけで済むような話ではない。
一万円で済まそうなんて虫がよすぎる。
感謝の気持ちはどうやって表せばよいのだろうか?

お金は人のために使えば減らない

自慢に聞こえるかも知れない。
偽善だと思われるかも知れない。
本来、人に言うことではないと思っているが、この話を続けるために書く。

「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、敵味方の区別なく救う」ことを目的に活動する組織に、毎月一定額を寄付している。
わずかな金額であり、毎月引き落としされるので、日頃は「寄付している」という意識がない。

しかし、たまに思い出してみると、人の役に立っているという幸福感が得られる。
お金がなくて困っていた頃と比べると、人間としての成長が感じられるのだ。

別に金持ちじゃなくても慈善活動ができるということに気づいた。
住んでいるのは持ち家じゃないし、車も持っていない。
移動はもっぱら公共の交通機関で、それ以外は自転車か徒歩である。

そんな自分でも慈善活動をするようになったのは、神社に一万円札を奉納してからだ。
感謝の気持ちは人に役立つことで伝えればよい。

そして、お金は人のために使えば減らない。

Posted in  on 9/13/2020 by rteak |